
ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』
音楽の世界におけるフランス印象主義の幕開けを告げ、その後の多くの作曲家達に影響を与えた記念碑的作品、その意味でも「前奏曲」という題名は象徴的と言えます。原曲はオーケストラのために書かれました。当初の構想では、この曲の後に間奏曲および終曲にあたる敷衍曲が続く予定でしたが、あまりにもこの前奏曲が大きな成功を収め、単独でも充分成立する作品だったために、あとの2曲は作曲されませんでした。
象徴派詩人ステファヌ・マラルメの相聞牧歌「牧神の午後」(1876年)からインスピレーションを受け、その「自由な絵解き」(ドビュッシー自身の曲目案内より)として1894年に作曲されました。冒頭よりフルートソロが大活躍する、フルート奏者にとっても最も大切なオーケストラ作品の一つといえます。
マラルメの原詩要約:真昼の眠りから覚めた牧神が葦笛を吹こうとしたとき、水浴びするニンフに気づく。牧神は2人のニンフを捕ま抱えて薔薇の茂みへと消えるが、ニンフは巧みにその腕をすり抜け、逃げ去ってゆく。牧神は疲れ、美の女神を抱く夢想に微睡みながら、再び眠りへと落ちる。

J.S.バッハ『フルートと通奏低音のためのソナタ ホ長調 BWV1035』
Adagio ma non tanto, Allegro, Siciliano, Allegro assai
バロック時代を代表する大作曲家バッハはたくさんの子供に恵まれましたが、5人の息子が音楽家になり、そのうちの3人は後世まで名を残す作曲家になりました。次男のカール・フィリップ・エマニュエルはベルリン(ポツダム)のフリードリヒ大王の元にチェンバロ奏者として就職していましたが、父親のバッハは生涯で2度、1741年と47年にその宮廷を訪問しています。そのどちらかの訪問時に作曲されたのが、このフルートソナタホ長調であるといわれています。
この曲の自筆譜は失われ、かわりに複数の筆写譜によって伝えられていますが、そのうちの一つの表紙には「作曲家がポツダムを訪れた際に宮廷侍従のフレーデンスドルフのために作曲し、その自筆譜を筆写したもの」と書き込まれています。
この書き込みが正しいとするとバッハの1747年の訪問時に作られた可能性が高いといえます。なぜなら、1回目の訪問時には、まだ大王の宮廷はベルリンにあって、ポツダムのサンスーシ宮殿に移転するのは1745年だからです。大王は自身がフルートを愛奏し、作曲もする文化人でした。2回目の訪問時、フリードリヒ大王がバッハに一つの主題を与え、すぐさま、バッハがそれを鍵盤楽器上で展開して作曲してみせたという逸話が生まれました。それを後に改めて作曲し直し、有名な「音楽の捧げもの」が生まれたのです。
さて、このソナタは4つの楽章からなりますが、そのうち冒頭楽章を除く3つの楽章は舞曲的要素の強いものです。全体に明るく屈託のない雰囲気はフリードリヒ大王の好んだ様式と一致し、サンスーシー宮殿でこの曲が流れたこともあったのだろうか、楽しい想像が膨らみます。

シューベルト
「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲 op. 160 (D802)
「僕が愛を歌おうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみを歌おうとすると、それは愛になった」
これは、短い生涯の間に700曲あまりの歌曲を生み出し「歌曲の王」と呼ばれるシューベルトが25歳の時に記した散文詩「わたしの夢」の中の一文です。今日演奏される「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲 は、シューベルトの代表作であり最初の連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」の中より「しぼめる花」のメロディーを主題として、自らフルートとピアノの為の変奏曲としたものです。
この連作歌曲集は、マイスターになる為に修行中の青年がさすらいの途中で小川のほとりの水車小屋の少女に恋をし、恋破れ、最後に小川に身を投げて悲劇的結末を迎えるまでの魂の遍歴を描いたものですが、この変奏曲の中でも、小川の流れを暗示させるような部分が出てきます。
青年は、少女からもらった花に託して失恋の悲しみを歌います。
「彼女が僕にくれた、お前たち花の全ては、僕と一緒に墓に埋められるがいい。ー中略ーいつの日か、彼女が墓の側を通り過ぎながら『あの人は誠実だった』と心の中で思うなら! その時、すべての花が咲き出るがいい!五月が来たのだ、冬は去ったのだ。」
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W.A.モーツァルト『キラキラ星の12の変奏曲』
「きらきら星」の名前で親しまれているこのメロディーを聴いたことのない人間はおそらくいないでしょう。この曲はもともと1770年代のパリで非常に愛好された、少女が母親に自分の好きな人を打ち明ける、という内容のシャンソンに由来します。モーツァルトは人気のメロディーをピアノソロの為の変奏曲に仕上げたのです。
このように、変奏曲には、主題をシューベルトのように自作のメロディーから引用する場合と、聴衆を喜ばせる為にも、すでに一般的に有名なメロディーから引用する場合とがあり、この曲は後者にあたります。
長い間、モーツァルトがパリに滞在中の1778年に作曲されたと考えられていましたが、現在では、音楽学者のプラートによる自筆譜の筆跡鑑定によって1781年あるいは82年にヴィーンで作曲されたという説が有力となっています。
この曲は、ピアノを学習した人間には非常に馴染みの深いといえるでしょう。実際、演奏会や発表会等で取り上げられる機会の多い曲です。テーマの親しみやすさから、やさしい曲であるかのような印象を受けますが、実は相当な名人芸を必要とします。

武満徹 フルートのための「ヴォイス」
“QUI VA LA? QUI QUE TU SOIS, PARLE, TRANSPARANCE!>
WHO GOES THERE ? SPEAK, TRANSPARENCE, WHOEVER YOU ARE!>
武満徹は数々の映画音楽や、薩摩琵琶と尺八とオーケストラの共演が話題を呼んだ「ノベンバーステップス」等で有名な、我が国を代表する作曲家です。ほぼ独学で作曲を学び、不遇の青年時代を過ごしましたが、結核にかかり死の予感のなかで書かれた「弦楽のためのレクイエム」が大作曲家ストラヴィンスキーに絶賛されてからは、我が国を代表する前衛音楽の旗手として活躍することになります。
後期には次第に調性を意識した曲作りに取り組み、ドビュッシーを彷彿とさせながらも、独自の音響世界「タケミツ・トーン」といわれるものを生み出しました。フルートの重要な作品として、「マスク」(1959, 1960)、ヴォイス (1971)、「巡り」 - イサム・ノグチの追憶に(1989)、遺作となった「エア」(1995)が遺されました。
1971年に作曲されたこの曲は、今やフルートの現代音楽における偉大なる古典といってもよいものですが、ここでは題名の「ヴォイス」そのまま、奏者の声が重要な役割を演じます。意味のあるセンテンスから、怒鳴り声、うなり声、ささやき声など、様々な声が、多彩な特殊奏法の中にちりばめられ効果をあげています。
曲中では、滝口修造の詩集「てづくり諺」より
「だれか まずは物を言え 透明よ」
これの仏語訳、英語訳が使用されます。

プロコフィエフ『フルート ソナタop. 94』
Moderato, Scherzo:Presto, Andante, Allegro con brio
プーランクのフルートソナタと並び、近代のフルートソナタを代表するものといえましょう。1943年に作曲されましたが、丁度その頃、プロコフィエフの祖国ソ連は独ソ戦(ソ連側の名称は祖国大戦争)のまっただ中で、国内は悲惨な戦場となっていました。その影響は当然のようにこの曲にも感じられます。第1楽章の激しい部分などはあたかも戦場のようです。
しかし、フルートの美点を徹底的に追及したメロディーを用い、そして技術的にもフルートの持てるすべてを出し尽くすよう書かれたこの作品はフルート奏者にとってなくてはならない重要なレパートリーになりました。
この曲の初演を聴いた大ヴァイオリニストのオイストラフは、すぐさまこの曲のヴァイオリンソナタへの転用を作曲者に依頼、ヴァイオリンソナタ第2番として自らのレパートリーにしたことは有名です。
曲目解説:北川森央
東京藝術大学附属高校、東京藝術大学音楽部器楽科卒業。同大学院修士課程修了。同大学院博士後期課程に在学中。
これまでにフルートを篠崎このみ、中野富雄、三上明子、金昌国、パウル・マイゼン、寺本義明の各氏に、バロック・フルートを前田りり子氏に師事。
現在、宇都宮大学教育学部非常勤講師、国立音楽院講師、横浜シンフォニエッタ主席奏者。
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